母パニック

羽田空港に着いた。 飛行機の中では特に問題なく落ち着いていた。 荷物を受け取る前に、トイレを勧めるが行こうとしない。 この後、リムジンバスで1時間程はかかる。 もう、数時間はトイレに行っていないのだから、無理矢理連れて行った。 実家は、未だにく…

故郷を旅立つ

いよいよ、東京へ出発の日。 前日、姉に散々怒鳴り散らされた母は静かだった。 姉も前日の怒りをまだ引きずっているようで、空港までの1時間の車内の空気は最悪だった。 今回の母の東京行きは、あくまでも姉の家のリフォームが済むまでというのが大前提で、…

姉発狂

エプロンに手を伸ばし捨てようとした瞬間、ポケットから白い紙が落ちた。 その紙を母が急いで隠そうとする。 非常に嫌な予感がした。 というか、予想がついてしまった。 十中八九あれだろう…。 「請求書 68000円」 やっぱりね…。 以前にも書いたが、「ツケ」…

カビだらけの服

今にも崩れそうな家から、母を連れ出し姉宅へ向かった。 東京に向かう前日の晩、泊めてもらうことにした。 さすがに、1年も風呂に入らず異臭を放っている母をこのまま飛行機に乗せる訳にはいかない。 他の家族が帰ってくるまでの間、母を風呂に入れることに…

東京進出するまで②風呂に1年も…

田舎に迎えに行くまで、母は1年近くも風呂に入っていなかった…。 実家の風呂は、五右衛門風呂だ。 外に掘っ立て小屋のようなものがあり、そこにある。 父が倒れるまでは、畑から大量の薪を割って運んできていたからまだ、毎日入っていたらしい。 でも、父が…

東京進出するまで①

74才にして、初めて田舎を出て東京に進出した母。 父が脳梗塞で倒れ、要介護認定5の状態で施設入居して母一人で暮らすようになってから、言動がおかしいと感じる事が多くなり、私が一泊で田舎に戻り母を東京に連れてくる事になった。 田舎には、実家と車で5…

最近、よく考える事がある。 写真があるから、一生母の顔を忘れる事はないし、写真が無かったとしても顔はすぐに浮かぶ。 私だけかも知れないが、声が顔程、鮮明に思い出す事ができなくなっているように思う。 声を聴く事ができたら、すぐに母の声だとはわか…

結局、好きだったんだよ

私の生い立ちを知っている人は皆、兄弟も含め、母を介護しながら一緒に暮らした事を、あり得ないと言う。 よく昔から、縁を切った方がいい。でないと、いつまでも搾取され続けて幸せになれない。等と言われたものだ。 そう言われながらも、いつも結局見捨て…

またか…

来月末、少し時期を早めて、母の一回忌を行う為に田舎に帰省する事になっている。 またか…。 姉夫婦と私達夫婦だけ。 また、長女、長男、二男は来ない。 葬儀の時は、二男のみ参列。 納骨の時は、姉夫婦と私達夫婦。 まだ、父も施設に入居しているというのに…

捨てられない

母が亡くなって、もうすぐ10ヶ月。 なのに、母の部屋を片付けられない。 それ以前に、その部屋に入ることができない。 あの日のことを思い出してしまう。 今までの母との思い出を思い出すことは、辛くなくなってきているし、むしろ愛おしく感じることもある…

無気力

ここ最近、やる気が出ない。 母が亡くなってからずっとだ。 思えば、ずっと「やらなきゃ」の人生で、「やりたい」を優先する事なんて、ほぼ無かったし考えた事もあまり無かった。 実家の借金返済や母の介護がなくなって、自分の人生をこの先どう生きていくか…

カレンダー

今、我が家にはカレンダーがない。 母がいた頃は、デイサービスで綺麗に色を塗って持って帰ってくるカレンダーを毎月使っていた。 他にも、色々と絵を持ち帰ってきては、リビングに飾った。 意外と母の色彩感覚が面白く、毎月のカレンダーが私の楽しみになっ…

父と母の関係性

納骨で帰省した最終日、東京に戻る前に父に会いにいった。 その日は、私達夫婦と姉夫婦、そして姉の旦那さんのお母様も一緒だった。 インフルエンザや風邪予防の為、施設の玄関先で手を消毒し置いてあるマスクを着用し部屋へ向かった。 姉の旦那さんを見て、…

お節介な人

帰省中、父に会いに行っていた時のこと。 部屋に知らないオバサンが入ってきて、 「アンタ、誰ね!」 (いやいやいや…。それはこっちの台詞だよ。) 「娘のくまこです…。」 「あぁ、一番下のくまこさんねぇ。そう言えば、母ちゃんアンタが。」 (まずい。父…

母は可哀想だったのか?

納骨で帰省中に、いつもお世話になっていた村の商店に顔を出した。 普通ではあり得ない話だが、私が子供の頃からいつまでに払うからと言っては、それを過ぎてしまったとしても期限を催促せずに「ツケ」で食料品等を購入させてくれていた店だ。 私は帰省の度…

母も来てる…?!

納骨の翌日、皆で父に会いに行った。 先に皆で入ってもらって、私は施設の職員さんと話してから父の部屋へ向かった。 「お義父さん、喋ったよ!俺が会いに来るのが遅くなってごめんねって言ったら、首を縦に振りながら、よか。って。」 私が、 「父ちゃん、…

父の状態②

9日間の滞在の最終日。 夫が、 「お義父さん、また会いに来るから。次会った時は腕相撲で俺と勝負してね。」 そう言って、父の左手を触ると物凄い力で握り返してきた。 「お義父さん、ありがとう。腕相撲しようね。お義父さん、ちゃんとわかってるもんね。」…

父の状態①

納骨の翌日、施設に入居している父を皆で訪ねた。 そこで起きた不思議な体験を話す前に、父の状態に触れておこうと思う。 父は、5年程前に脳梗塞で倒れた。 いつものように農作業の為、1人で畑に行っていた。 夕方になっても帰って来ない父を心配して、母が…

四十九日

1月末に四十九日と納骨で田舎に帰省した。 長女、長男、二男は来なかった。 予想外だったのが田舎の姉の子供達が駆けつけてくれたことだった。 私と姉は大幅に年の差があり、尚かつ姉は早くに結婚しているので、1番年が近い姪は私と6つしか違わない。 全員、…

姉の感覚

他の兄弟と多少ゴタゴタして、墓等の色々な問題もあるが、田舎の墓に納骨する事になった。 四十九日の手配等は、田舎にいる姉にお願いしていた。 地元の空港に昼過ぎに着く便なのだが、15時からお寺で四十九日の法要を行い、そのまま墓に移動して納骨すると…

姑からのメール

49日と納骨で田舎に帰省する日が近づいた頃、姑からメールが届いた。 「もうすぐ、帰省ですね。もう、傷は癒えましたか?納骨を終えたら、全ての悲しみ等の感情は田舎に置いてきなさい。それが、49日の本来の意味というものですよ。わかっていますか?」 正…

ぴんぴんころり

今まで、少し書いているが、姑がかなり苦手だ。 母が亡くなってから、苦手を通り越して嫌いになった。 母が亡くなって、1週間程経った頃、 「あれが本当のぴんぴんころりだわよね。理想だわ。」 それ以降、会う度に言ってくる。 母は苦しまなかったという、…

昔の母の言葉

私が中学生だったか高校生だった時。 夜、隣で寝ている母が、 「あんたはごらしかね。(可哀想ね)母ちゃんが39の時に産んだから、兄弟の中で一番母ちゃんと居れる時間が短いよ。」 なんとなく、この言葉が自分の中に残っていた。 あれから、18年程経って2年…

ふとした瞬間

母が亡くなってからの半年間は、家でも外でも所構わず、突然涙が出たりして困った。 当初は、18年振りに母と同居した2年間を思い出すのが辛かった。 むしろ、この一緒に暮らした2年間がなかったらもう少し楽だったのではないかと考えたりもした。 3年前、夫…

衝撃的な言葉

長男と二男のバトルの翌日、私はこのまま連絡をとりたくないと思っていた。 でも出棺の時、母に兄弟仲良くするって言ったし、納骨の問題もあるし、まだ施設に入居している父もいるし。 父については、4年程前に脳梗塞で倒れ施設に入居しているが、発作を繰り…

長男と二男のバトル

葬儀の翌日、二男が長男に電話した。 本来であれば、長男が電話して来いと思う。 私や二男は家族だから別にいいが、私の夫には一言もないのは筋が違うのではないか。 「もしもし、兄貴。昨日、無事に終わったから。」 「あぁ、そうか。」 「今日の夜にでも、…

介護中の思い出(お菓子編)

母は、認知症だった。 父が脳梗塞で倒れ入院して、一人になった途端様子がおかしくなった。 当時、東京から田舎の母に電話すると、日にちや時間を朝5時と夕方5時がわからなくなっていたりと気になる事が増えていったので、私達夫婦と一緒に暮らし始めた。 デ…

葬儀当日③

最悪な気分だが、まぁ葬儀当日だし、そんな長電話にはならないだろうと電話に出た。 「もしもし。ご無沙汰しています。」 「急な事でびっくりしたわ。あんたが、ずっと東京で面倒みてたんやろ。時々、あんたの姉ちゃんからは話聞いてたわ。今、娘から話聞い…

葬儀当日②

エンディングメイクをした母は、こんな顔してたんだと思う程、綺麗だった。 皆で花を沢山飾ってあげた。 「生まれてから一度も田舎を出た事ないのに、70過ぎてから東京へ連れてきてごめんね。本当は嫌だっただろうに、出てきてくれてありがとう。これからは…

葬儀当日①

母の葬儀当日。 参列者は、私と夫、二男、姑だけのつもりだった。 他の兄弟が来なかったので、地元ではないし仕方ないと思っていた。 が、来なくてよい人が来ると姉から連絡があった。 私のいとこだ。 私の父の妹の娘。 二男と同じ私の7つ上。 埼玉に住んで…