父の状態②

9日間の滞在の最終日。
夫が、
「お義父さん、また会いに来るから。次会った時は腕相撲で俺と勝負してね。」
そう言って、父の左手を触ると物凄い力で握り返してきた。
「お義父さん、ありがとう。腕相撲しようね。お義父さん、ちゃんとわかってるもんね。」
そう言うと、父は泣きながら頷いた。

全く理解していない事はないのではないか。
もっと滞在できたら、少しは何か変わったのではないかと夫婦で話しながら、東京に戻った。

だからといって、姉にこうして欲しいああして欲しいとは言えなかった。
いつも、思う事があっても私はその場にいないのだから、中途半端に口出しはしてはいけないと思っている。
だから、金銭援助に専念してきた。

私は、少し後悔していることがある。
父が倒れる前日の朝、母から電話がきた。
「父ちゃん今、畑に行ったんだけど、アンタ達夫婦は仲良くやってるのかね。久し振りに声を聴きたいねと言ってたから、今晩か明日にでも電話してやって。」
そう言われていた。
田舎の人は、特に年を取ると、夜寝るのが早い。
20時くらいには布団に入ってしまう。
どうせなら、私だけよりも夫婦で電話した方がいいだろうと思い、翌日がちょうど休みだから、翌日にしようと思った。
でも、父は翌日に倒れてしまった。
最近になって姉から聞いた話だと、倒れる3日程前に珍しく父から電話があり、もう年だしこの先、母に何かあった時にと救急車や病院、子供達の連絡先を聞いてきたらしい。
今思うと、虫の知らせではないが何か感じていたのかも知れない。
私があの日、もし電話をしていたとしても何が変わったわけでもなかっただろう。
でも、父の想いに応えてあげれば良かったなと思う。
申し訳なかったと思う。

その後、半年間は入院していたが、リハビリへの拒絶が強くこれ以上の回復は見込めないという事で、胃ろう手術を行い、介護認定を受け病院と提携している老人ホームに入居している。
今までも数回、発作を起こし輸血をして一命を取りとめてもいる。
医者にも次に発作が起きたら、父の体力的にも離島の医療の問題等もあり出来る事が限られているので、厳しいと言われている。万が一の時には最後の延命措置をどうするかについても、しない方向で姉がサインしている。

あと何回会えるだろうか。
そして、納骨の翌日、私達と一緒に母も父に会いにきているんだと思う出来事が起こった。

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