姑
これまでに何度か書いてきたが、私と姑の関係は微妙だ。
以前、お母様を亡くされたお客様が、それまで姑との関係は最悪だったのだが、「もう、この世で母と呼べる人が 姑しかいなくなったから、これからは前向きに考える」とおっしゃっていたのが印象的で心に残っていた。
そして、母が亡くなった時、私もそういう風な心境になるのかと思ったが、私の場合は全く逆の報告に振れてしまった。
むしろ、母は母しかいないと小さな子供のようになってしまった。
しかし、一応長男の嫁で一番近くに住んでいるので、関わりは嫌でも多い。
更に姑が数年前から、脊柱管狭窄症を患い、私はそれ関連の仕事をしているので、更に接する機会がぐんと増えた。
最近は、少しずつ、でも確実に老いていく姑を見ているうちに、私の中に違う感情が芽生え始めてきたように思う。
母も義父も、もういないし、父も田舎の施設に入居していてなかなか会えない。
そんな中で、それでもまだ、親孝行ができる相手がいるということは幸せなことなのかも知れないと。
きっと、母もそうしなさいと言っているだろう。
待っててね
令和になった昨日、父の誕生日だった。
父は脳梗塞で倒れ、要介護5の状態で施設に入居している。
胃瘻をしていて、自分で寝返りもうてないし、言葉も失っている。
元々、体力自慢の人だったので、こういう展開になるとは想像さえもしていなかった。
今も元気だったなら、誕生日が新元号に変わる記念すべき日だと話していただろう。
母にしても、東京で一緒に暮らして2年で居なくなってしまうなんて思いもしなかった。
来年のオリンピックも当然一緒に見られるものだと思っていた。
当たり前の事なんて何一つないのかもしれない。
きっと今頃、父はベッドの上で天井を見つめているだろう。
12月には、母の3回忌があるので帰省するが、来年の父の誕生日は隣で一緒に祝いたいと思っている。
母には伝えられなかった感謝の気持ちを、その分、父に伝えたい。
だから、毎日孤独だろうけどもう少し待っててね。
守られていた
母が亡くなる半年程前から、
「母ちゃんが死んだら、アンタのことは絶対守ってあげるから」とよく言っていた。
その時の私は、長期に渡る微妙な母娘関係と介護生活に疲れていて、そんな言葉などどうでもいいから、日々の事をもう少しなんとかして欲しいと思っていた。
一緒に暮らした最後の2年間、しょっちゅう派手にケンカした。
その時は、このクソババアいつまで私を苦しめれば気が済むんだと、これ以上にここには汚すぎて書けない事も考えたりした。
当時は、父も倒れ母の認知症が始まり、他の兄や姉は全く母の面倒を見る気もなかったので、仕方なくという感じだったが、今思えば私がそうしたかった、母と一緒に暮らしたかったのだと思う。
最後に、母は私を甘えさせてくれたのだと今は思う。
自分がしてあげている、面倒をみてあげているとばかり思っていたが、守られていたのは私だった。
今も、あの時の母の言葉に守られている。
借金取りですか
父は、脳梗塞で倒れ田舎の施設に入居している。
それがきっかけで、母の認知症が始まり2年間東京で一緒に暮らした。
一緒に暮らしてから、長男と次男から毎月3万円ずつの仕送りを受け取っていた。
しかし、長男からは最初の2ヵ月間だけ決まった日にちに振り込まれたが、あとはずっと遅れ、最大7ヵ月程振り込まれなかった。
お金に関わる事は、嫁さんとLINEで連絡をとっていた。
兄は酒癖が悪く、酔うと暴れるので、遅れている事は絶対黙っていてほしいと頼まれていた。
しかし、そのうち連絡も疎かになり、7ヵ月も振り込まれない為、そろそろきちんとして欲しい。私の夫にも申し訳ないので、このままだと兄と直接話をするしかなくなってしまうというような話を嫁さんとLINEでやり取りをした。
結局、その後、1ヵ月分振り込まれてはまた2ヵ月振り込まれずを繰り返し、1年分程しか振り込まれていない。
兄も、母に一度しか会いに来なかったし葬式にも来なかった。
母が亡くなった月から、長男次男と私がそれぞれ、今後の父の為、積立てをする事になった。
そのお金は、田舎の姉が管理している。
しかし、またそのお金も送金が滞っているらしく困っていると言うので、そろそろ兄にはっきり話した方が良い。結局私の方にも連絡ない旨を話した。
「そうでしょ。だって、アンタとは二度と連絡とりたくないって、嫁が言ってた。借金取りに追われているようで、生きた心地がしなかったって私に言ってきたもん。」
「はぁ???いつ?」
「母ちゃんが死んだ後すぐに。今月からはあちらには送らず、お義父さんの分と言う事でお義姉さんのところに送金しますって。これをアンタに話したら、大変な事になると思ったから黙ってたんだけど、さすがにこっちにも送金ないから、つい口が滑ってしまった(笑)」
あのヤロー。ふざけるな。
私が借金取りですか。
じゃ、借金取りらしく残りの分も取り立ててあげないといけませんね。
姉にしても、笑い事じゃないと思った。
じゃ、母の世話を文句一つ言わず、愛情を持って最期まで母に接してくれた夫はどうなるんだ。
あまりにも悲しいやら腹が立つやらで泣きそうになった。
私のあまりの怒りように、姉は焦っていた。
もしこれを母が亡くなった直後に聞いてしまっていたら、「母の遺骨は生ゴミと一緒」と言われたあの時に聞いていたら、私はどんな行動に出ていただろう。
思わずゾッとした
昨夜、晩ごはんの後に寝落ちした夫を起こそうとした時。
一度、声をかけたが起きないので二度目はもう少し大きな声をかけたが起きない。
三度四度目は体を揺すりながら大きな声で起こすが起きない。
ここで、母の最期の時の光景を思い出してしまい、半泣き状態で激しく夫の体を揺すった。
そこでやっと起きた夫だが、私があまりにも酷い顔をしていたのだろう。
状況を察した夫は、
「大丈夫だよ。そんな事にはならないから。」
そう言って笑った。
でも、そんな事は誰にもわからないと思ってしまった。
人はいつかは死ぬ。と頭では理解している。しているつもりだった。
でもいざ現実になってみると、何も理解していなかったと痛感する。
この先、大切な人との別れはまた必ず来るだろう。
その度に、 また打ちのめされてこの世の終わりのような、言葉にならない感情に襲われるのだろう。
でも、それでも生きていかないといけない。
これからは、自分の大切な人をもっと大切にしよう。
母が自分の死を通して教えてくれたことなのだから。