東京進出するまで②風呂に1年も…
田舎に迎えに行くまで、母は1年近くも風呂に入っていなかった…。
実家の風呂は、五右衛門風呂だ。
外に掘っ立て小屋のようなものがあり、そこにある。
父が倒れるまでは、畑から大量の薪を割って運んできていたからまだ、毎日入っていたらしい。
でも、父が倒れてからは足の悪い母では、誰がどう見ても無理な話だ。
小屋の配線が上手く出来なかったようで、電気はつかないし、更に老朽化して今にも崩れそうだった。
父が倒れた直後に帰省した時は、その状態の風呂を私達夫婦もさすがに利用する気にはなれず、滞在していた9日間は、母を連れてレンタカーで20分程離れた村にある国民宿舎の有料の温泉や、その近くにある銭湯のような所へ行っていた。
そんな状況だったので、姉には、今後母を週に2回でもいいから姉の家で入浴させてほしいと散々お願いしてきた。
それにかかるガソリン代や水道代も含め、私が全て支払うからと。
しかし、姉の返事はノーだった。
とにかく、母は甘えている。
やれないのではなく、やらないだけなんだと。
家のすぐ近くに、年中入れる無料の露天風呂があるのだから、そこに行けば済むことだろと。
しかし、その露天風呂に行くにはかなり急な下り坂を降りなければならない。
草木が生い茂っていて日があまり当たらない為、常に苔が生えていて滑りやすい。
そこを足のかなり悪い母に歩けという。
しかも、海に面していて、脱衣場もない。
年中、35℃くらいしかないのだから寒すぎる。
それでも、姉は頑なだった。
仕方なく、大晦日の午前中に迎えに行き風呂だけ入れてくれたらしい。
そのまま、家に送り届け大晦日も母は一人で家にいた。
そして私が迎えに行ったのは、それから1年後の12月。
1年も風呂に入っていなかった…。
母からは凄まじい強烈な異臭がした。
今にも崩れ落ちそうな家の中で、髪はボサボサ、皮膚もガサガサ、ほぼ引きこもり状態になっていた母を見た時、やはりなんとしてでも東京へ連れていこう、ここに居させては絶対に駄目だ、迎えに来てやはり良かったと思うと同時に、姉の感覚が理解出来ずに恐ろしかった。