2018-01-01から1年間の記事一覧

母は可哀想だったのか?

納骨で帰省中に、いつもお世話になっていた村の商店に顔を出した。 普通ではあり得ない話だが、私が子供の頃からいつまでに払うからと言っては、それを過ぎてしまったとしても期限を催促せずに「ツケ」で食料品等を購入させてくれていた店だ。 私は帰省の度…

母も来てる…?!

納骨の翌日、皆で父に会いに行った。 先に皆で入ってもらって、私は施設の職員さんと話してから父の部屋へ向かった。 「お義父さん、喋ったよ!俺が会いに来るのが遅くなってごめんねって言ったら、首を縦に振りながら、よか。って。」 私が、 「父ちゃん、…

父の状態②

9日間の滞在の最終日。 夫が、 「お義父さん、また会いに来るから。次会った時は腕相撲で俺と勝負してね。」 そう言って、父の左手を触ると物凄い力で握り返してきた。 「お義父さん、ありがとう。腕相撲しようね。お義父さん、ちゃんとわかってるもんね。」…

父の状態①

納骨の翌日、施設に入居している父を皆で訪ねた。 そこで起きた不思議な体験を話す前に、父の状態に触れておこうと思う。 父は、5年程前に脳梗塞で倒れた。 いつものように農作業の為、1人で畑に行っていた。 夕方になっても帰って来ない父を心配して、母が…

四十九日

1月末に四十九日と納骨で田舎に帰省した。 長女、長男、二男は来なかった。 予想外だったのが田舎の姉の子供達が駆けつけてくれたことだった。 私と姉は大幅に年の差があり、尚かつ姉は早くに結婚しているので、1番年が近い姪は私と6つしか違わない。 全員、…

姉の感覚

他の兄弟と多少ゴタゴタして、墓等の色々な問題もあるが、田舎の墓に納骨する事になった。 四十九日の手配等は、田舎にいる姉にお願いしていた。 地元の空港に昼過ぎに着く便なのだが、15時からお寺で四十九日の法要を行い、そのまま墓に移動して納骨すると…

姑からのメール

49日と納骨で田舎に帰省する日が近づいた頃、姑からメールが届いた。 「もうすぐ、帰省ですね。もう、傷は癒えましたか?納骨を終えたら、全ての悲しみ等の感情は田舎に置いてきなさい。それが、49日の本来の意味というものですよ。わかっていますか?」 正…

ぴんぴんころり

今まで、少し書いているが、姑がかなり苦手だ。 母が亡くなってから、苦手を通り越して嫌いになった。 母が亡くなって、1週間程経った頃、 「あれが本当のぴんぴんころりだわよね。理想だわ。」 それ以降、会う度に言ってくる。 母は苦しまなかったという、…

昔の母の言葉

私が中学生だったか高校生だった時。 夜、隣で寝ている母が、 「あんたはごらしかね。(可哀想ね)母ちゃんが39の時に産んだから、兄弟の中で一番母ちゃんと居れる時間が短いよ。」 なんとなく、この言葉が自分の中に残っていた。 あれから、18年程経って2年…

ふとした瞬間

母が亡くなってからの半年間は、家でも外でも所構わず、突然涙が出たりして困った。 当初は、18年振りに母と同居した2年間を思い出すのが辛かった。 むしろ、この一緒に暮らした2年間がなかったらもう少し楽だったのではないかと考えたりもした。 3年前、夫…

衝撃的な言葉

長男と二男のバトルの翌日、私はこのまま連絡をとりたくないと思っていた。 でも出棺の時、母に兄弟仲良くするって言ったし、納骨の問題もあるし、まだ施設に入居している父もいるし。 父については、4年程前に脳梗塞で倒れ施設に入居しているが、発作を繰り…

長男と二男のバトル

葬儀の翌日、二男が長男に電話した。 本来であれば、長男が電話して来いと思う。 私や二男は家族だから別にいいが、私の夫には一言もないのは筋が違うのではないか。 「もしもし、兄貴。昨日、無事に終わったから。」 「あぁ、そうか。」 「今日の夜にでも、…

介護中の思い出(お菓子編)

母は、認知症だった。 父が脳梗塞で倒れ入院して、一人になった途端様子がおかしくなった。 当時、東京から田舎の母に電話すると、日にちや時間を朝5時と夕方5時がわからなくなっていたりと気になる事が増えていったので、私達夫婦と一緒に暮らし始めた。 デ…

葬儀当日③

最悪な気分だが、まぁ葬儀当日だし、そんな長電話にはならないだろうと電話に出た。 「もしもし。ご無沙汰しています。」 「急な事でびっくりしたわ。あんたが、ずっと東京で面倒みてたんやろ。時々、あんたの姉ちゃんからは話聞いてたわ。今、娘から話聞い…

葬儀当日②

エンディングメイクをした母は、こんな顔してたんだと思う程、綺麗だった。 皆で花を沢山飾ってあげた。 「生まれてから一度も田舎を出た事ないのに、70過ぎてから東京へ連れてきてごめんね。本当は嫌だっただろうに、出てきてくれてありがとう。これからは…

葬儀当日①

母の葬儀当日。 参列者は、私と夫、二男、姑だけのつもりだった。 他の兄弟が来なかったので、地元ではないし仕方ないと思っていた。 が、来なくてよい人が来ると姉から連絡があった。 私のいとこだ。 私の父の妹の娘。 二男と同じ私の7つ上。 埼玉に住んで…

葬儀にも参列しない兄弟

私は5人兄弟の1番下なのだが、長女とは18、1番近い二男とでさえ7つ離れている。 兄弟というより、親戚のような感覚で育った。 母の葬儀に参列したのは、二男だけだった。 次女は、地元に暮らしていて施設入居している父の世話をお願いしている。 危篤状態だ…

何してたんだろう

私は、何してたんだろう。 産んで育ててもらったことに大して感謝もしないままこの歳まで生きてきてしまった。 18の時からずっと、5人兄弟の1番下の私だけが親の借金返済や生活費の面倒をみてきた。 3000万円以上にはなる。 その過程で、両親や他の兄弟への…

不思議な現象

母が亡くなって、しばらくたった日のこと。 夜中にある気配で目が覚めた。 急に、部屋の空気が動いている感じがして、布団に誰かが近づいてくるような、ズシッとした感覚があった。 普通に母親だろうと妙に納得した次の瞬間、パサっと紙のような何かが落ちた…

かわいい顔

医者からの説明が終わり、母を葬儀屋の車に乗せ警察署を出ようとしている時だった。 昨日の警察の方が走ってきた。 「昨日は、お母様が亡くなられて大変な時に我々が土足で入り込むようなことをしてしまって申し訳なかったです。」 そんな事をわざわざ言いに…

腹部大動脈瘤

死因は、腹部大動脈瘤の破裂だった。 「もしかしたら、お母様はここ最近便の出が悪いとか、肩が痛いとか言ってなかったかな?」 確かに、亡くなる1週間前にショートステイから帰ってきたあと、肩が痛いと言っていたので、湿布を貼ってあげた。 お通じも出づ…

死因判明

鑑識官らが帰ったあと、色々な思いがぐるぐる廻り案の定一睡も出来なかった。 とりあえず、解剖せずに早く戻ってきて欲しい、それだけだった。 6時に電話がきた。 「お母様の死因が特定できました。委託している医師からの説明等がありますので、8時に警察署…

鑑識官が来た

自宅に戻るとすぐ、病院で会った警察の方と鑑識官が2名、やって来た。 母の部屋とトイレを調べたり写真を撮ったりしていた。 一人の鑑識官が、 「この部屋は寒いな。おいおい20℃ないぞ。ここに老人を。」 と独り言なのか、こちらに当てつけなのか言っている…

あの日のこと⑤

ただただ、祈ることしかできなかった。 しばらくして、医者がやって来た。 はっきりした会話はあまり覚えていない。 母は死んだ。 その事を告げられた時、悲しいとかではなく驚きというか、よくわからない感情だった。 正直、人ってこんなに簡単にというか、…

あの日のこと④

14時半頃から寝始めて、16時40分頃に目が覚めた。 電気を消していたので、12月ということもあり家の中は暗かった。 夫がトイレに向かおうとした時に、母が自分の部屋から出てきて、トイレに入った。 「お母さんに先入られちゃったよ。」 その後、母はきちん…

あの日のこと③

家に着くと母は、 「家が1番よか。」と言った。 介護ベッドに腰掛け、ゆっくりと部屋着に着替えはじめた。 朝から、様子がおかしいと感じていた私は、 「大丈夫?」と声をかけた。 「大丈夫よ。それよりも、ここに6人しょうがないから布団敷いて寝よかね。」 …

あの日のこと②

病院につくと、いつもの問診。 そこでも母は、明日入学式があると言っていた。 帰りの車の中で、 「疲れた。早く家に帰ってゆっくりしたい。」 と言う母に、 「せっかくだから、いつもの喫茶店でお昼食べようと思ってたんだけど、疲れてるなら家で食べようか…

あの日のこと①

このブログをはじめようと思ったのは、母の死を受け止めて、乗り越えるきっかけが欲しいと思ったからだ。 母が亡くなった詳細を書く事が、あの日を鮮明に思い出して向き合う事が辛くてなかなか書けずにいたが、少しずつ書いていこうと思う。 昨年12月に他界…

救急車

昨年のあの日以来、ドラマや映画の救急車での搬送シーンを見ると、息苦しくなってしまう。 実際に救急車が通ると、あの日の事を鮮明に思い出して、歩いていても涙が出てきてしまう。 「どなたかわからないけど、あなたは絶対助かって下さいね。」 心の底から…

ごめんね

我が家のリビングには、3年前に他界した義父と昨年の12月に他界した母の遺影がある。 朝ご飯と夜ご飯、お茶の時も、私達夫婦と同じ物を義父と母にも出す。 なんとなく、毎日表情が違う気がする。 今になって、顔色伺うなんてね。 ごめんね。 にほんブログ村 …