暴れる父

先日、姉からLINEが届いた。

文面はなく、施設に入居中の父の写真だけ。

何故か、布団を頭までかぶって顔が見えない。

何?どんな状況なのコレ??

返信すると、姉から電話が来た。

朝、施設の職員さんから電話があり、父がここ数日夜中も日中も大きな声を出したり、日々の介助の時に拒絶反応が凄すぎて、胃瘻をしているのだが食事の注入も暴れてやりづらいので、一度家族に来てもらいたいとのことで、施設に来ていると。

姉が呼びかけても、睨みつけ何を言っているかわからないが、怒鳴ってくるらしい。

手を触ろうとしても、動く左手で叩こうとしてきたりする為、姉は引っ掻かれたとのこと。

そうこうしているうちに、動く左手で布団を頭まで引っ張って被り込み、しばらく周りが静かになると辺りを伺うように顔を出し、そこで姉が声を掛けるとまた布団を被り込むの繰り返しだそうで、それがなんだか可笑しくなってしまったようでLINEしたと。

布団を被り込んでいる父の耳元に電話を近づけるから、話しかけて欲しいと言われたので、一方的に暫く話し続けた。

すると、また顔を出して、携帯電話をじっと見ていたらしい。

それにしても、困ったものだ。

左脳が全て壊死していると言われているのだが、脳の状態が原因で、幻覚等が見えているのか、日々のストレスなのか。

その後、おむつ交換に来てくれた女性の職員さんはとても丁寧で優しく声掛けしながら接してくれたようで、父も抵抗することなく静かだったと姉が言っていた。

やっぱり、そういう感覚わかるのかねと言うので、そりゃそうだろと答えた。

むしろ、敏感に察しているのだろうと思う。

来月、母の一回忌の為、帰省する。

その時、父はどんな反応を見せるだろう。

私の事を覚えているのか。

どちらにせよ、どんな状態でも、父は父だ。

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家中にアレが…

母が電話に出ないので、心配になり急いで帰宅した。

いつも私は、母が留守番するにしても自分で鍵をしめて出掛ける。

オートロックを解除して、自宅の玄関を開ける。

が、何故か中からロックされて数センチしか開かない。

非常に焦った私は、その数センチに顔を近づけ、母を必死に呼んだ。

とりあえず、すぐ応答はあったのでホッとした。

玄関まで来るように言って、なんとかロックを外すように、数センチの隙間から指を入れたりして説明した。

これまた、時間がかかる…。

そうこうしている間に、夫も帰宅した。

そして、無事に家の中へ。

何故、ロックをしたのか聞いてもよくわからないと言う。

というか、機嫌が悪く睨むような顔をする。

そして、家の中が臭い。

臭すぎる…。お食事中の方には申し訳ないが、便の匂いが凄すぎる…。

慌てて、トイレを開けると、便座から床まで非常に汚れていた。

急いで、掃除をした。

母の部屋を見に行くと、拭き取ったタオルがゴミ箱に突っ込んであった。

それも片付けたが、まだ臭い。

洗面所がとても臭い。

洗面所の排水口付近も汚れていたが、一番驚いたのは、洗面台下の洗剤等を置いている場所だった…。

まさかの洗濯ネットに、大量の便まみれになった下着やズボンが入れられていたのだ。

私は、発狂してしまった。

非常に良くない事だが、片付けをしながら母を責めてしまった。

それに対して母も、上京してからのストレスでキレてしまい、お互い激しく罵り合った。

よく見ると、母の手の爪にもびっしり便がついている。

見かねた夫が、

「あら、お義母さん、かわいそうに。手にもそんなついちゃって。おいで。俺と一緒にキレイにしようか。」

そう言って、また買うからと、歯ブラシで母の爪一本一本を丁寧に掻き出して洗ってくれた。

夫は声を荒げたりしないので、母も夫には素直だ。

「お義母さん、もうお腹は痛くない?怒られ疲れたから、ゆっくりお茶とお菓子食べようか。」

私に対しても、他の事は仕方ないけど、排泄の失敗は絶対に怒らないで欲しい、後始末も自分がやったっていいから、今後この事で母を怒らないで欲しいと言われた。

母にも夫にも、申し訳ないと思った…。

その後も色々あり、介護認定申請を行うことにした。

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携帯電話と格闘する母

一緒に住み始めてから、どんどんおかしい言動が増え、一人で留守番させるのが不安になってきたので、携帯電話を持たせる事にした。

色々言っても理解が難しいので、とにかく音が鳴ったら通話ボタンを押すことだけを何十回も教えてみるのだが、これまたスムーズにいかない。

上手くいく時は稀で、ほとんどは通話ボタンを押す事をせず、着信音の時点で「もしもーし、もしもーし。」とやっている。

まぁ、またその都度、何百回でも教えるしかないか。

姉にその事を伝え、母が出れるかわからないが、私の仕事中等にたまに電話してくれるよう頼んだ。

母も、私の目を気にせず姉に愚痴を言える機会があった方がいいだろう。

その後、姉からの電話に数回出る事に成功したようだ。

そして、私の電話には上手く出られず、たまに出たかと思えば、早く帰ってこいと怒る。

何回電話しても出ないと、転倒してるのではと仕事中も気になり、自宅と仕事場は徒歩10分くらいなので、急いで一時帰宅する事も多くなった。

大概は、取り越し苦労で終わるのだが、ある日急いで帰宅すると、何故か内側からロックがかかっていた…。

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一人で喋ってる?

ある日の早朝、母の部屋から母の話し声が聞こえた。

最初は、TVを観ているのかと思ったが、随分長く話している。

「おはよう。何喋ってるの?」

母の部屋のドアを開けた。

TVはついていなかった。

「あぁ。ほれ、小さい男の子が遊びに来たから、話してた。かわいいねぇ。」

「えっ?どこにいるのよ。」

「ほら、そこに。あんたにびっくりして、今あんたの後ろ通って出ていっちゃったよ。」

うわぁ…。
これは、心霊現象なのか認知症による幻覚幻聴なのか…??

その後、部屋の天井から虎がずっと睨んでる等、不思議なことを言うようになった。

新しい環境が、認知症を加速させる事があると聞いた事があるが、こういうことなのか…。

それから、母にとって何がいいのかを調べて動くことになった。

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息子達を忘れたの??

母と一緒に暮らし始めて2ヵ月経った頃、長男と二男が我が家を訪れた。

母と兄達も、兄達と私もそれぞれが18年程会っていなかった。

母は、兄達が来る事が決まってから随分この日を楽しみにしていた。

しかし実際は、18年会わない会おうとしなかった通りの空気感だった。

私は、長男とは11、二男とは7つ離れている。

その年の差もあり、私達兄弟も微妙な関係性だった。

母が何か話しても、まだ二男は介護の仕事をしていることもあり、聞く耳を持っているのだが、長男は酒を飲まないと話せない、酒癖が悪いのですぐ、生い立ちから両親を否定し続ける言葉しか発さない。

結局、以前にもいくつか書いたが、長男は母の葬儀にも参列しなかったし、未だに自分の行いを正当化するように口を開けば、周りを批判しかしない。

兄達は一泊して、翌日の昼過ぎに帰っていった。

私も夫も気疲れし、母も疲れた様子だったので、少し昼寝をする事にした。

そして、その日の夕食時。

「あの人達はもう帰ったの?」

「うん、帰ったよ。帰る時、母ちゃんとも玄関先で挨拶して帰ったでしょ。」

「…。」

「そういえば、結局あの人達って誰だったの?」

その瞬間、私も夫も固まってしまった。

「覚えてないの?」

「…。」

実際、会っている間はちゃんと名前で呼んでいた。

「えぇ?あの人達、誰だったかなぁ?母ちゃんが知っている人だったの?」

「よく知っている人達だよ。」

「…。」

「あー!わかったわかった!!思い出した。そうだ、あの人達は、まさひととまさひでだ!!そうだったー!」

「いやいや、違うよ!それは、田舎にいた近所の人達でしょ。」

「…。」

「お義母さん、今日は疲れてるんだよ。一晩ゆっくり寝たら思いだすよ。」

私も、夫に言われた通りこれ以上掘り下げるのはやめようと思った。

そして翌日。

朝の段階では思い出していなかった。

「母ちゃんの子供は何人いる?」

「4人よ!」

5人なのだが…。

その後、私は数時間仕事に出た。

帰宅すると、母はちゃんと兄達の事を思い出していた。

その辺りから、急激に母に色々な変化が起きるようになっていった。

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母娘連れ

今朝、家を出るとちょうど60代後半くらいの母親と40代くらいの娘さんが仲良く並んで、私の前を歩いていた。

一緒に暮らしているのだろう。

昨日の夕飯の話や、今週末のお出かけの話等を楽しそうに話していた。

少し、羨ましかった。

それでも、母が居なくなって10ヵ月。

自分の中での捉え方が少しずつではあるが、変わってきているのだと思った。

今年の母の日は、遺影の側に供える為にカーネーションと茶菓子を買いに行った。

その時は、仲良さそうに歩く母娘連れを見て、嫌と言うほど現実を思い知らされ、夕暮れ時だったのもあり涙を流し俯きながら急いで帰宅した。

でも、今朝は少し違った。

羨ましいとは思ったが、同時に微笑ましいとも思った。

母は、この世にはもう居ないが、私の心の中には常にいる。
思い出して、寂しくなったり悲しくなったりする事もあるが、それ以上に心が温かくなる。

そう思える私は、なんだかんだ言っても幸せなんだ。

母ちゃん、今日もありがとう。

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カルチャーショック

母は、家の中でも度々、プチパニックを起こしていた。

足がかなり悪かった母は、トイレが洋式なのは利用しやすかったようだが、長年、くみ取り式和式トイレだった為、水を流す週間がない。

度々、流し忘れや水の勢いに驚いて声をあげたり、トイレの横の洗面所で手を洗ってと何度言っても、トイレを流した際にタンク上から出る水に手をつけ、トイレ内が壁や床も毎回濡れる。

そして、便座が温かい事や洗面所でお湯が出る事にも驚く。

ある時は、風呂の支度が出来たので入るように伝えると、
「えっ?今日は雨だから、風呂はないんでしょ?あるの?」
と驚く。
実家は、五右衛門風呂だったので、薪で焚く為に雨がひどい日は、薪が湿ったりして時間が更にかかる為、焚かない日が多かった。

そして雷の日にTVを観ていると、ものすごい剣幕で、
「アンタ達は、雷の音が聞こえないのか!!!雷が落ちるから、コードを抜け!!!」
と怒鳴り散らす。

夫がその必要がないことを丁寧に説明すると、自分の部屋で相撲を観て、大ハッスルだ…。

母よ…。雷よりもアナタの力士への叱咤激励の方がよっぽどうるさいですよ…。

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