一回忌

先月、母の一回忌を少し早めて田舎で行なった。

そして先日が命日だった。

花を新しくし、線香をあげた。

一回忌は、田舎の姉と甥姪と私達夫婦だけ。

長男二男、長女は連絡もなかった。

一回忌を自分の中の区切りにしたいと思っていたが、もうしばらくはかかりそうだ。

母の遺影を見ていたら、久しぶりに涙が出てきた。

たまにの事だから、母も心配せずに見過ごしてくれるだろう。

母ちゃん、あなたを思ってたまに泣く事は悪い事じゃないよね。

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1ヵ月振りの更新

1ヵ月振りの更新。

色々と身近で不幸が重なり、ブログを書く気になれずにいた。

それと、8月から始めたこのブログ。

亡くなった母のことや、施設入居中の父のこと、他にも日常の事を書きたいと思って始めたのだが、楽しい事等を書くと場違いな気がして、参加しているカテゴリーにもよるのだろうが、少し悩んでいた。

結局、考えてもイマイチはっきりと結論が出なかったので、とりあえずまたダラダラと書いていこうと思う。

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人の指が入ってた?

介護認定審査を受けた後に、母を心療内科へ連れて行った。

別日に、脳の画像診断やカウンセラーによる診断等も受けた。

はっきりと断定出来るほどの脳の特徴は見つからなかったらしいが、レビー小体型認知症ではないかとのことだった。

ある日、病院で、「桜、電車、猫」等の5つの言葉を覚えるよう言われた。

そして、5、6分別の話をした後に再度5つの言葉が何だったのかを聞かれた。

母は、一つも答えられなかった。

その後、医者が箱を取り出し、その中身を説明した。

それを先程と同じように数分後に聞くからということだった。

スプーン、ボールペン、腕時計等の5つが入っていた。

そして数分後、母は一つも答えられなかった。

その日の夕食時、夫も診察時の話は私が既にしていたので知っているのだが、

「お義母さん、今日病院どうだった?怖くなかった?」と話を振った。

すると、母は驚く事を言い始めた。

「怖くはなかったけど、びっくりたまげたよ。テストをしたんだけど、先生が見せてきた箱の中に人の指が入ってて、これは誰の指ですか?って聞いたら、この指はあなたが困った時に助けてくれる人の指ですって言うから、本当にたまげたぁー。」

私も夫も顔を見合わせ固まった。

「お義母さんを助けてくれる人の指かぁ。凄いものが入ってたねぇ。」

母は、ご満悦だった。

もちろん、そんなものは入っていないしそんな会話もしていない。

ずっと、私も付き添って診察室に居た。

母は、私が側に居たことも忘れていたのか。

それとも、レビー小体型認知症の影響で、本当に幻覚や幻聴ということがおきていたのか。

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暴力で変形した足

母の認知症のような症状が増えてきて、一人で留守番をさせるのが不安になってきていたので、上京してから3ヵ月後に、介護認定調査を申請した。

簡単な認知症のテストや普段の生活の細かなチェックが行われた。

あるあるだが、第三者の前では気が張っている為か、意外とシャキッとして受け答えもしっかりしてしまう。

ただ同時に、生活チェック等について出来ない事も出来る、自分一人で出来ていると答えてしまう。

その後に、家族からの意見を聞かれるので、先程のこの項目は母は出来ると言ったが出来ていないということを、一つ一つ認定員に話さなければならない。

これが、母を前にしてだと、母を一つ一つ否定するようで非常に心が痛んだ。

その後、生活で困っているような事はないかを聞かれた。

母は足が非常に悪い。

誰がどう見ても、異常な程に左足が変形している。

よくこれでなんとか自力歩行しているなと思う程だった。

なので、入浴時にバスタブを跨ぐ事が出来ないのでかけ湯のみだったり、足の踏ん張りがきかないので、生活全般で転倒の心配があるという事等を話した。

認定員の方も、母の足を見て、どうしてそうなったかを聞いた。

母は、独身の頃に転倒して、当時病院もなく放置してしまった為、こうなったと説明した。

母は、嘘をついた。

まぁ、本当の事等言えるはずがなかった。

母の足の変形は、父の度重なる暴力が原因だった。

よく父に、自分の足がこうなったのはアンタのせいだと言っていた。

その時の状況を何度も聞かされた。

母の結婚した頃までの写真も、足は変形していなかった。

私も40手前になるが、未だに、毎晩のように繰り返されていた父の暴力が夢に出てくる。

やっぱり、なんとかして母を幸せにしたいと思った。

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母は墓にいるの??

来月、母の一回忌で田舎に帰省する。

母が亡くなってから姉は、母に会いに来る為に帰省しておいで等と私に言う。

その度にいつも違和感を感じる。

母は、墓にいるのか??

確かに遺骨は墓に眠っている。

墓参りも普通にする。

もしかしたら、母を東京に引き取らずに田舎で亡くなっていたとしたら、姉の言葉にも何もひっかかる事はなかったかもしれない。

最後に2年間だけだが、一緒に暮らして、亡くなった後も朝晩と私達が食べる物と同じ物をお供えしている。

お供えという言葉を使ってはいるが、感覚としては皆でリビングで食事しているという感覚だ。

それに、普通に「行ってきます」「ただいま」も言うし、会話していても、母の口癖を真似て喋ったりをしょっちゅうしているので、母はすぐ側にいるというか、常に自分の中にいるという感覚になっているので、法要の為に帰省をするが、母に会うという感じではないなといつも、違和感を感じている。

まぁ、兄弟であっても人それぞれ考え方は違うので、そこに母を思う気持ちさえあればいいのだと思う。

母も、じゃんねー(そうだねー)と言ってくれているだろう。

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姪の結婚式と親不孝

今日は、姪の結婚式だ。

私と姪は、6つしか違わない。

私は諸事情があり参列しない。

来月、母の一回忌で帰省した時に会う事になっている。

結婚式ね…。

私は、入籍だけで式を挙げなかったし、子供もいない。

一般的には普通の事をしていない。

孫、孫言われた事もあり、その都度腹を立てていた。

私が子供を産まなかったのは、親の借金返済と終わらない生活援助、そして自分も親になったら、おかしなことを子供にやってしまうんじゃないかという恐怖心が強かったからだ。

でも、親からすれば、娘の晴れ姿や孫を見たいと思うのは自然な事だ。

それなのに私は、ずっと心の奥底で、あなた達のせいだと両親を責め続けてきた。

借金返済や生活援助はしてきたけれど、当たり前の喜びを両親に感じさせることは出来なかった。

結局、私は親不孝者だ。

申し訳ない…。

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予知夢としょうもない兄

昨日の朝、夢を見た。

私達夫婦と姑が一緒に暮らしていた。

そこに、衰弱した二男が訪ねてきたので、ご飯を食べさせ布団を敷き、寝かせようとしたのだが、姑が「こうやって、毎回毎回困った時だけ頼られても困るのよね!」と言ってゴタゴタする夢だった。

あまりにもリアルな感じだったので、起きてすぐ夫に話していた。

これが、このまま夢なら良かったのだが…。

昨夜22時過ぎに、二男からメールがあった。

「久しぶり。元気か?いつも金の事で申し訳ないが、水道も電気も止められてるから、31日に返すので明日2万振り込んでくれ。よろしく。」

よろしくじゃないよ!!

それに、一番猶予がある水道が止められるって、どれだけ滞納してるんだよ。

夢の中の姑の台詞は、私の気持ちを代弁したものだった。

夫も苦笑い。

兄よ…。45にもなって、何やってんですか貴方は…。

そして、兄に送信したメールも戻ってきていた。

どうやら、携帯電話も止まったらしい…。

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